年齢と人生の密度
幻想郷において妖怪は長く生きる。人間から比べれば何倍も生きる種族も珍しくない。
蓬莱の薬で永遠に生きる元人間は生きるというよりその形に戻される呪いのようなものなので省く。
元々寿命が長い種族はそういう密度で生きるので言ってしまえば人間の生き方を希釈しただけであるといえる。ただ一種類気になる種族がある。吸血鬼である。
不死身の怪物の代表格のような彼らがだが彼らは人間の中から産まれる。
産まれは人間なのである。
彼らの精神構造は人間に近い。彼らの人生の密度も人間のままだとすると。数百年は終わらぬ楽園か?魂の牢獄か?
長命な種族といえ人生の密度は総体として人間と変わりない。風船に例えると外側はとてつもなく大きいのに入ってる空気の量は同じである。
人間の密度で長命を生きると人間の喜怒哀楽の降り注ぐ負荷を何度も何度も受けることになる。愛したなにかの消滅をなんどもなんども。
幻想郷から離れてしまうが他作品では長年生きた故に滅んでいく精神を描かれてたりすもする。
これらをもとにすると幻想郷においてスカーレット姉妹しか吸血鬼がいないのも一つの道が見えて来る。
彼女らは栄誉ある家の生まれであることを誇っているし他に仲間がいる(いた)ということも言明されているが姉妹以外でてこない。
姉妹は種族の中では若輩であるという。ならそれを見守るべき老年の吸血鬼はどうなったのだろうか?
思うに老年の吸血鬼は時間というものに絶えられなくなって消滅してしまったのではないだろうか。
永遠にいくられる身体を持っていても永遠に耐えられる精神をもってはいない儚い種族なのではないだろうか。
フランは気が触れているから閉じこもっているのではなく他人と触れ合うことで起こる機微から受ける精神のダメージを防ぐために引き籠っていたのではないだろうか。
そう考えると屋敷に引き籠りがちの生活をしているが活発的に他人と関わり陰謀を企てたり必ず自分より先に死ぬ霊夢や魔理沙に関わっていくレミリアは吸血鬼の中でも特に強靭な精神を持っているのではないだろうか。